サクラクトモノクローム

【切り絵】日記を7年ほど綴っていたお話

理数はとてつもなく出来て、国英社の覚えと出来が悪く、
中学を終えるまでその差は天と地もあるかなり極端なものだった
今ならわかるが、視覚系神経回路の処理にいっぱいだったのだろう
いわゆる世間的に言われているゲーム脳というやつ
 
そんなまだ自分の理解ができていなかった頃から約7年間
学生時代の終わりまで日記を記してゲーム脳を脱していたことと、
日記の延長で始めた夢日記の中で感じたよくある脳のバグ体験を綴る
 
原稿用紙25枚越えちゃった激重自己振り返り徒然文
綴って起きたこととか、この妄想ばかりな中の人はどんな人間かなーって人向け
 

1.日記のこと

高校に上がる前、ふとした拍子にちゃんと字を文章として読めるようになり、
読むことの楽しさを知る
ここから頭の中が非常に騒がしくなったが
それにより物事の理解や処理が急速に出来るようになった
点数悪い教科は理解なんて無いまま教材を写真のように、
視覚情報で覚えようとする非常に効率の悪い学習手段をとっていたこともわかった
決められたパターンの小論文が書けて、心を言語化する感想文を綴れなかった理由も納得だった
そもそも小説の文章も読み取れず、
すぐ1~2ページ戻るの繰り返しで書くどころか読むことが全くできなかった
 
この時15歳
理解したのはあまりにも遅く、周りと比べて語彙力の低さ、表現の貧しさ、
人と接する上での鈍さなどが顕著に現れる原因だったともわかった
自発少なく、基本的に出された問題に答えるような後出しコミュニケーション
先を見据えた物事の選択ができなかったが、幸いか不幸か
誰にでも当たり障りのない反応をするので優しい人とか、
知識不足が天然等と評価されていき
最低限の信頼があり生活を上手くやり過ごせてしまっていたために気付けなかった
 
振り返ってみれば自我の芽生えも遅かった
このことに違和感を持ったのは、周がみな幼少期の記憶を持っていることに気づいた時
悩み・苦悩・選択等をすると記憶は残りやすいというのに、 
そういう経験をしてこなかったせいなのか記憶を振り返ってみても、
ぼんやりと誕生日プレゼントを選択した8歳頃からの記憶しかなく、
その年齢以下の記憶は無いに等しい
 
記憶にはないがゲームのセーブデータという記録は存在していたから、
普段ゲームばかりしていたのだろうなという推測しかできず
それまでの授業もどうやって切り抜けていたのか、
そもそも大人しく聴いていたのかすらもわからない
 
世間一般的なゲーム脳というのは、
脳科学者の造語で前頭前野に大きく関わっている
前頭前野は認知と実行の機能を司っており、
人格の発現やプランニング・社会的行動の調節などを遂行する脳の部位の事を指す
ゲーム脳になるとこの前頭前野が働かず、これらが健常者と比べ異常にできなくなる
私はまさにこの症状で、さながら15歳で旅立つRPG主の様にレベル1でステータス0
自分が何者かさえもわからない、漠然と生きるだけの芯もない空っぽな人間だった
 
高校に上がるという節目もあって、せっかく気づけた自分の発達が遅い分
取り戻して人間らしく、人並み以上になろうと思い立った
そこらかしこにある情報を吸収すべく色々と積極的に行動し、
出来る限り多くの事柄に手を上げ伸ばし、広げるようにしていった 
 
 
その行動の中の一つに「携帯電話にメモをとる」というのがあった
現実、ネット、小説、漫画、アニメ問わず、良いと思えた人、
良いと思えた行い・言葉を全部メモして模範するように行動をしていく
知らなかった言葉、素敵に思えた言葉、感じ取れた人の感情とその原因や根本、
またその考え方を、その時の自分の感情を交えながらひたすらに記すようにした
 
人を自分の感覚だけでただ視るのではなく、
その人の育ちを掘り下げ考え視るようになったのはこの頃から
わからない言葉や言い回し、感情の背景は、
できるだけ聴いたり調べたりと学ぶ機会にして、
他人の考え方を知ることで自分の心を埋めていった
 
 
携帯電話はいつでも取り出せたのでメモの習慣はすぐ付いて、
今度はそれを文章として再構築するようにもなった
その時何事も何かを伝える時は聞く・読む相手の立場に立って考える癖をつけていった
誰かに見せる気もないものだが、読む相手の立場に立って考え構築を何度もすることで
会話でも伝えたいことを伝えやすくなっていった
これが日記の始まり
空っぽゆえに何にでもなれると、
人やキャラを自分だと思い込む自己投影も過剰にしていたのだろう
 
 
メモしていた内容が内容なだけに
当然文章も明るく詩的な表現ばかりになり、
人の心に対して考えることが増え、人間の在り方や理解も深まっていく
内容は変だと思うが、こうして綴ることを身に着けていった
 
次第に考えたこと・感じたことのほぼ全てをメモ・日記にとる生き方になっていた
基本的に一人で行動していたため綴る時間も沢山あった
考えることも同じ題を煮詰めがちなのでそこまで時間はとられなかった
こうして相手の立場に立って文章構築しているうちに、
自分自身を俯瞰した景色のひとつとして見るようになり始めていく
 
考え方や言語能力が真似事で形成されていく私は、
自身のことをずっと初期レベルのまま空っぽだと思っていた
それゆえ自分の考えと自分のではない考えの境界線が、
次第に曖昧になっていった
 
この人(私)は何を考えているのだろうか、こう考えているのではないだろうか
日々を綴りながら思春期らしい自問自答も繰り返される日々
小説やアニメ等フィクション含めたメモと日記を記していたために、
自身の境遇を数々の人やキャラと比較してしまい、
例え生活の中で辛いと思えることがあっても、
それは世界にとって小さき事なのだと誤認識して、全てを受け入れていた影響も大きい
今なら辛いという感じ方は人それぞれだと訂正できる
 
そうして感情交じりに綴っていたつもりだったが、
いつからか誰かの感情をメモし綴る視線と同様の視線で
自分自身を見るようになっていた
「この人はこういう考え方をするだろう」という、
自己暗示染みた自分の視線
沢山の人の感情を綴っていたために、
考えられるベストな感情の選択をするようになっていき
俯瞰した中でコントロールできる操作キャラクターの様に、
自分を捉えるようになっていく
 
このあたりから私が言うゲーム脳(偽)という言い方と、考え方の軸が出来上がった
自分含む物事全部を、色々な能力や技能を、病を、
イベント、アビリティやスキル、バットスキルとして可視化していく
目標や未来をストーリーやクエストとして、受注や攻略を選択していく
 
最近知ったことなのだが、
こういう風に自我ではなくオルター・エゴ(別人格)やペルソナを作って他我を持つと
感情・欲求が分離され集中力やパフォーマンスがかなり増すそうだ
私みたく自身を俯瞰し別人と捉えなくとも、
「こんな時ハム太郎ならどう考えるだろう」という様な簡単に思い浮かぶ視点の考えでいい
漫画のヒーローや優しい人、気になる人などテキトーに当てはめ、
その人ならどう行動するかを考え思い浮かべるだけで効果がある
 
おかげで前頭前野はかなり働くようになり、未来に向けた予定建てや計画、
実行を日常的に選択出来る生活を過ごせ、ゲーム脳(真)は恐らく解消された
ただ、ひたすら脳を動かしていたせいか糖分(お菓子)を沢山食べるようになった
 

2.夢日記のこと

こうして綴る習慣に慣れ自己暗示を身につけてしまった後
綴る範囲は更に拡大し、夢でみた内容も日記に綴るようになった
 
それまで夢の内容はすぐに忘れてしまう体質だったのだが
日記を綴り続けることで脳の活動領域が増えたのか、
夢の内容をも記憶に残り綴れるようになった
 
夢はそのときの感情に大きく影響されるものと言われ
読み解いていけば自分が曖昧になってしまい空っぽと認識していた深層心理や、
己を形成する要や軸を知るアプローチになって自己理解が深まるだろうと安直に考えていた
 
確かにメンタルチェックの面でみれば気持ちの切り替えとしてできる事はあったが
夢は綴れば綴るほど、内容・見える景色・色・感情が大きく深くなっていくもので、
最終的にそれが脳の判断をバグらせていった
 
一番わかりやすかったのが落ちる夢を観たとき
それまでは落ちる感覚に途中でハッと目が覚め
心臓の鼓動が高鳴っていただけなのだが、
夢を綴るようになってからは夢の中でも
綴るために記憶しなければと意識が動くようになる
 
どうやら深い夢は目覚め難くなるらしい
落ちる夢は色々なパターンがあり、落ちた先の地面や水面にあたる衝撃や、
岩、剣山になす術もなくあたり刺さる衝撃が、普通に痛く全身が熱いと感じる
だが起きないし意識もそのままだし死ぬこともできず目が覚めることもない
身動きができないほど硬直ししばらくはそのままじわじわと痛み広がり、
ぼんやりと眠るように意識が遠いて、気づいたら現実に起きている
 
そのうち何回も観てきた落ちる夢を体験したときのこと
落ちた後それが夢だと気づいて、痛いから離れなきゃとまで考える余裕が出来た
離れなきゃと考えたことが世界に反映されて身体が浮き、「明晰夢」という状態に入る
明晰夢」とは夢に気づいた自分の考えが、夢に反映される状態のこと
このことは夢解析ついでに知っていたのですぐにわかった
 
それからは明晰夢に入る頻度も高くなり
日記を綴るときに想像する脳内映像が夢の世界に濃く反映されていく
夢を観て夢を綴る
綴った夢が記憶に残りまた夢に展開される
現実でも俯瞰した景色で自分を捉えていたせいで、
夢の中はまさに自分を操作するような感覚だった
 
こんなことをしていると同じ世界の夢をたくさんみるようになる
繰り返し綴り綴る分だけその世界が肉付けされ、より長く濃く、
匂いや色、音までも現実のように変化していった
 
夢の世界は私が気にしない性格なせいで時間概念はめちゃくちゃ
その世界に具体的な範囲はなく絵に描いたようなパステル世界
隣にただ一緒にいるだけなのに心地よいとても仲良い影(人?)もいて、
夢だと判断できながらもこの世界を味わっていたいと考え、
いつのまにか起きて、綴り記憶し眠りにつけば頻繁に続きを観る生活が続く
まるで本当に眠ればそこにもうひとつ別の世界があるようだった
 
時にはとても恐ろしい夢も観る
ふとした拍子に「あるかもしれない」という考えられる最高の恐怖を
少しでも考えてしまうとそれが夢の中で起きる
現実では声を上げることは滅多にないのに、
最高の恐怖となると思わず叫び声が出てしまい、
現実から発生される自分の声聞こえ目が覚めていた
 
夢日記を書き始めたのは、コマ数みっちり取っていた大学時代
この時4年間続けた夜勤アルバイトもあって、
1日を9時間活動3時間睡眠の12時間サイクルでそれなりの日々を過ごしていた
睡眠時間のほとんどがレム睡眠を占めていたため、
それが相まって余計に夢の世界にいることが多くなり、濃くなっていったのだろう
 
考え事はアウトプットする≒綴ることで頭が整頓されるが、それは夢も例外ではなく
綴ることで整頓されより明確なものへと発展していくと感じられた
ただの夢なのに現実世界と夢の世界、2つの世界層を認識している感覚
夢から夢に目が覚め、現実かと思いきやそれも夢だった場合もあり、
現実が曖昧になったりしたときもあった
夢が具体的になり過ぎて現実と夢の境界を見極める判断力にエラーが起き始めたのだ
 
夢日記をとってはいけないというのはこれらの現象がその理由なのだろう
寝言を言っている人に話しかけると、夢から戻れなくなり起きなくなると迷信もあるが
ここまで濃くなると本当に夢の世界から戻らなくなりそうな気がした
幸い夢遊病発症の域にまで達しなかったので、現実世界からログアウトする前にと
学生の終わりを節に夢日記含む全てを綴る習慣も終わらせ、
ずっと引き継いでいた記録媒体を破棄した
 
 
 

3.最後に

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私【まだ知らない輝きを夢見た】
 
日記を綴ると考えや気持ちを整頓できる
その時を思い出そうとすることで記憶力と、
現在と過去を区別するために判断力も向上するという
それが数年規模になると、過去の自分との対比や成長、
考え方の変化具合、またその時の見ていたものや情景と学んだことが具体的に見えて、
時間の積み重ねが実感でき、活路も見出しやすくなる
ただ全てを綴るのはやりすぎだった
それにやり方が興味を示したものへの注ぎ方だったために、
未だに教養不足なのは否めない
 
学生時代という活動的で沢山の葛藤のある時期に7年も行った習慣なだけあって、
これらの行動が人格形成に多大な影響を及ぼしてしまったのだと考える
現在はレベルアップも感じて、私がどういう人なのか自信をもって表現できる
沢山の好きなことや嫌なことを言えるし、それを誰かの記憶に刻むことだってできる
 
そもそも自分をかたどる人間を知ろうとやってきたことだけど
最初期に勝手に思い浮かべた人間らしい偶像というのが、
己が持つフィルター通したもので間違っていただけだったのだ
人は全て等しく世界の知識量に比べたら根本的に無知だということと、
人はみなそれを感じても感じていなくても無知に抗って、
ただ生きているそれくらいの姿でいいのだともわかった
他人からはどんな人間も人間として見えていて
過去がどんなものであれ、今ここにいるのは確かなもの
それが認識できているならば、適当に折り合いつけるだけ
夢も明晰夢はおろか夢自体観ることも少なくなった
落ちるような印象に残る夢を見たときだけ感覚が入り込むのは変わりないが、
その前後の世界は目が覚めたら忘れることができるようになった
 
以上で日記を7年綴ったお話は終わり
私を読んでくれてありがとう