サクラクトモノクローム

【切り絵】何であれ認め受け入れて、その上で自分らしく対応する

例えばゲームで
次のボスは猛毒を使ってくるよー
なんて事前にわかったならば、
その猛毒に対抗するための手段や道具を用意する

これもゲームだけでなく、リアルに対しても同じことだと考えている

 

 

掃除を始めると、とことんやるくらい好きだったり、
どう掃除していけばいいのかの攻略順イメージがすぐ浮かぶのに対して
ものぐさなためにその掃除に対してなかなか行動に移らなかったりする

その対策として
・手に取って即起動できるコードレス掃除機を置く
・普段生活する場所の手の届きやすいところにハンディーワイパー、コロコロを置く
・コロコロをはがして捨てるゴミ箱の近くに、水拭きワイパーを置く
と掃除に移行するエネルギーの省エネ化と、導線を考慮して設置、対応している

結果として猛毒を使うボスを正解対応で倒せるように
ものぐさである私がこまめに掃除するようになった

安い掃除機を買って掃除しないのであれば、
いい値段でもコードレス掃除機を置いた方が、
部屋が綺麗になり気持ちに余裕もでるし、
何より掃除したあとの心地よさが維持できる

こんな風に、
基本的に正解の動きを模範しながら行動するのが手っ取り早いと常に考える

 

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【己を捉えて、撃つだけ】


これはそもそも、
「自分がものぐさである」と認めなければ出来ない対策であり
ものぐさだと認め向き合うことでやっと、
次にどうやって対策するかとステップ踏んで考えることができる

自分の性格が悪いだとか、ものぐさじゃなく変わればいいと、
自分を押し殺し余計なストレスを貯めるのはあまりよろしくない
同様に昔と比べて変化してしまった自分や、
理想や空想上に思い浮かべる自分と比べ負荷をかけ続ける行為も、
エネルギー効率が悪すぎるうえ、気付かないだけで自分に常に叱られているようで、
気持ちの面でもよろしくない状態に陥ってしまう

こういう考えをするよりも、自分自身と向き合い自分のままでいた方が、
本当にしたいことや、その対応策が見えてくると考えている
大切なのは、その上でどうするかというところ

 

私を例にあげてみたが、これは対人関係にも当てはまる
「人はそういうもの」だと無意識下に考えている人は沢山いる
だがこれは生活環境や生い立ち、
文化の違いによって考えは数多のものであり定義が統一されてはいない

だからそうだと信じてた人やもの、行動がそうじゃなかった時、
差やギャップに対して"何で?どうして?"と
無意識下で信用していたものが崩されストレスが発生していく

これは自分の中で「人はそういうもの」と他人を信用して捉えることができる、
初めから人を信じられる優しい人が陥りやすい
ものぐさ同様、"この怒りやストレスは悪いもの”と捉え変わろうとする事は
更なるストレスとなるため、そう感じる自分が他人を信じているように、
自分もそういうものだと受け入れていけば大丈夫

もう一段考えを拡大するならば、もしそれが子ども相手ならば?と考えた時のこと
大抵の人が、子どもだから仕方ないと受け入れられ、
その上でどうするかを考えるはず
大人も子どもも同じ様に、そういう人だと個人を認め受け入れれば、

その上で自分はどうするかを考えていけるようになる
ついでに子どもに向ける視線のように、少し穏やかに考えられる

 

その分野の社会神経科学者がこんな検証をしていた記録もある
人の痛みに共感し、
それを和らげてあげたいと思う「思いやり」の気持ちを育てるにはどうすればいいのか
実際に行ったさまざまなトレーニングを比較してなかでも優れていたのが、
仏教の伝統から生まれた方法だったそうだ

被験者に両親や子どもといった自分にとって大切な人物を思い浮かべさせ、
その人への親愛の情を心の中に温めてもらう
そしてその温かい想いを向ける対象を、そのまま知人、見知らぬ人々、
さらに敵にまでと、少しずつ範囲を広げていくというものだった
誰かに向いた優しさは、他にも拡散させることができる

私たちの脳は柔軟でトレーニングをすれば、
どんな育ちで大人になっても優しさや寛容さを育てられることが証明されている訳だ


私は定かでもない未来への情をひたすら妄想し、常日頃温めこねている
途中で死ぬこともあるだろうが、そうならないこともあるだろうが

知ったこっちゃない妄想

今生きている全てが、
そこらに行き着くための途中経過に過ぎないと思っている
この未来の想いが、今のすべてに拡散しているのだろう
人に思いやりはないにしろ、常日頃穏やかでいられるのは
この妄想のおかげなのかなと上の研究を知ったときに少しだけ思った

 

実際、見れるうちに未来をいくつも思い浮かべることはとても良いことだと考える
ゲームの新作や漫画の続編の告知が出たら、希望や予想が持てて嬉しくなるのと同じ
例え今に精一杯だとしても、未来を見据えるだけで希望を持てるし、
違う視点を持つきっかけにもなり心に余裕もうまれやすくなる


気をつけなければならないのが、きちんと今を受け入れた未来であること
「今の自分がこういう人間だから、こういう未来があるかもしれない」程度で
今を切り離してはよろしくない
切り離して理想の未来だけを考えていると、
それこそ最初に書いた様に未来の重さに潰されることとなり
自分自身が敵対、負の感情やストレスに染まる悪循環

 

何であれまずは今の自分を受け入れて、その上で